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musica21 part 2

バッハとモーツァルト

11月24日、JYD合唱団、オーケストラ定期演奏会(レデントール会 初台教会)において、バッハのカンタータ147番、モーツァルトの孤児院ミサのソロを歌います。昨年の7月に決まっていたこの演奏会。思えばこの一年余りの間に、あまりに多くの事がありました。

まずその7月のコンサート前に、私は大風邪を引き、壮大なハイドンのミサ曲を「かつてない声」をふりしぼって歌うこととなり、皆様に多大な心配とご迷惑をおかけしました。そしてその後、ひと夏まともに声が出ませんでした。その時までは、その気になったら、本番は乗り切れると思っていたのですが、過信が打ち砕かれました。私には貴重な出来事でしたが、未だに「必死で歌う」より「必死で代役を探す」方法もあったのでは、と思っています。

なので今回は絶対に風邪を引かない、引けない、引くものか!!

モーツァルトの「孤児院ミサ」は彼が12才の時の作品。驚くべきは、彼の天才ではなく、12才してすでに、しっかりモーツァルトであると言う事。(子供の時からアルトが好きじゃなかったらしい)生まれたての赤ちゃんの手に、ちゃんと手相があるように、音楽の隅々にモーツァルト相が現れているのです。だから天才なのか。

バッハのカンタータ147番は、かの有名なコラール「主よ、人の望みよ喜びよ」が1部と2部の最後に歌われます。アルトアリアとレチタティーボは、「痺れる」が「難しい」く、深い成熟を求めている所が、モーツァルトと全然違うのであります。さあて、この2曲を一夜で歌うのはなかなかスリリング。違う役を演じるような気分でしょうか。

オーケストラ、合唱との練習が始まりました。禁酒、禁煙(煙草を吸っている人に近づかない)、禁過食、禁長電話等々。前の日にお酒を飲んでも、次の日ケロリと歌えた日々はもう終わったのだった。
# by musicaventuno | 2014-11-19 23:24 | claudia

アブルッツォ料理

友人の家の近くに、イタリア大使館肝いりのアブルッツォ料理のトラットリアが出来た、というので行って来ました。友人のS婦人曰く、「イタリアで食べるたと同じ気持ちになれる」

昨今、日本ではイタリア料理がすっかり根を下し、何処でも美味しいパスタが食べられるようになりました。(おる意味イタリアより美味しいお店もある位)しかしながら、それは優しい日本風の味になっている、かな?カレーやラーメンのように、本国とは随分違うけれど、でも美味しい!!という道をパスタも辿って行くのでしょうか?スープパスタなんてものも現れてきたし。

先のアブルッツォ料理のお店に話を戻します。アブルッツァオとは、イタリア半島の踵の上、丁度アキレス腱のあたりに位置する州。中心は山側のラクイラという街ですが、アドリア海にも面しています。イタリアは今こそ共和国として統一されていますが、それは明治維新の頃で、それ以前は、小さな国の集合体でした。例えばフィレンツェのあるトスカーナ州、ヴェネツィアのあるヴェネト州、という風に。因に私が留学していたパドヴァもヴェネトです。(だから私のイタリア語はヴェネト訛りなんだそうな)

元々が別の国なので、今でもそれぞれの州は郷土色が強い。言葉も違います。前置きが長くなりましたが、そこでアブルッツォ料理の登場となります。オーナーは勿論アブルッツォ州出身。本場と寸分違わぬ伝統の味を東京の皆さんに味わって欲しい!!という願いを込めて、Trattoria dai paezani を早稲田に開きました。「こ〜の店に〜は〜、アブルッツァオのものしかありませ〜ん〜」と誇らしげに語るだけあって、確かに「イタリアのように美味しい、イタリアレストラン」でした。ワインも勿論アブルッツァオ産。食後にはオーナー手作りの食後酒まで出て来て、う〜〜ん、確かにここはプチイタリア!!おっと失礼、ピッコロ アブルッツァオ。

お酒を飲まない方、小食の方にはおすすめ致しませんが、ある程度?ワインを飲み、胃袋の大きさに自身のある方には、是非おすすめのトラットリア(くだけた雰囲気のレストラン)であります。私も食べた事のない、アブルッツァオのパスタ、Cavatelliというのがそれは美味しかったですよ。イタリアの面白さは地方の多様性にあり、と思っています。日本にもそれはまだありますが、だんだんのっぺらぼうになっていますね。残念な事に。

最後に、私の愛するモンテヴェルディはクレモナ出身ですが、名物料理は、猪なんですよ。彼がそれを好んで食べたかどうかは??です。
# by musicaventuno | 2014-11-07 10:45 | claudia

晩秋

教えに行っている学校には、大きな銀杏と欅の木があります。京都や日光の紅葉も勿論美しいけれど、
紅葉(もみじ)の数程、人の頭を見なければならず......。それに比べて朝の校庭は人影もなく、ゆっくりと秋の行く様を楽しめます。欅の下を通る時、梢の音がざわざわからさわさわ、さらにもっと乾いた音になって行く。耳で楽しむ紅葉(?)。今朝は銀杏が黄金色。来週行く時は、その黄金色が地面に移っていることでしょう。今年はその歩みが早いですね。

1時間空き時間があったので、図書館へ行き、手塚治虫の「ルードビヒ」を読みました。ベートーベンの物語。流石手塚治虫の面白さ。長編になるはずが、亡くなられた事で未完になってしまったのが残念でなりません。モーツァルトと若きベートーベンの会話に、手塚氏の音楽への深い理解が感じられるのであります。

という訳で、NHKのプロファイラー「モーツァルト」は見る気にならなかったのだった。それより、もう一度「モーツァルトの手紙」を読みましょう。我が家の何処かに埋もれているはずなのだが.......。
# by musicaventuno | 2014-11-05 23:34 | claudia

愛唱歌

またまたまた、のご無沙汰でございます。その間にすっかり秋は深まり、冬の訪れさえ予感させるような、寒い朝。今日は慌てて炬燵の準備など致しました。皆様お風邪など引いていらっしゃいませんか?

今期のNHKの朝ドラ「まっさん」に、「蛍の光」や「埴生の宿」等のスコットランド民謡が登場していますね。でも、ちょっと驚かれませんでしたか?「蛍の光」が日本では大晦日に歌われる、「送る歌」なのに、本場スコットランドではお正月に歌う、とヒロインのエリーさんは言っていました。如何に?そこには、明治時代初期の、音楽教育にまつわる、「歴史秘話(?)」があるのです。

明治維新で文明開化した日本には、西欧の文化が怒濤の如く流れ込んで来ました。最初に歌われた西欧音楽は、キリスト教の賛美歌でした。しかしそれは、キリスト教会の中でのみ歌われるもの。本格的な普及は、学校教育の中での「唱歌」に始まります。

明治政府は学校制度も含めて、全ての教科の規範を西欧に求めました。「唱歌」また然り。しかし、何をどう教えたらいいか、さっぱり分からない。そこで、「音楽取調掛」なる部署を作って、日本の学校制度の中で「音楽」をどのように教えるべきか、研究させました。それが後の「東京音楽学校」(現東京芸術大学)です。その歴史に私は大変興味があって、様々語ることがあるのですが、それはおいて、今日は小学校における「唱歌」(まだ「音楽」ではありません)に的を絞ります。

「唱歌」を正式な教科にしたものの、当時の日本にはまだ、生徒皆が一緒に歌える日本語の歌がありませんでした。そこで登場したのが、外国のメロディに日本語の歌詞をつけた「輸入唱歌群」です。恐らく「音楽取調掛」は西欧諸国の民謡等を集めたに違いありません。その中から、何故ドイツやフランスでなく、アイルランドとスコットランドの民謡が多く選ばれたのかは、良くは分からないのですが、日本固有の音楽的感性に触れるものがあったのだ、と想像します。

しかし、ひとつ問題がありました。西欧の民謡は民謡と言えど、男女の愛を歌ったものが多く、それを当時のお役人は「反道徳的」として、本来の歌詞とは似ても似つかぬ「道徳的」な歌詞を、無理矢理!あてはめたのです。かくて、美しい旋律と「道徳的」歌詞による、輸入唱歌がたくさん生まれまることになります。それが現代に至るまで、「愛唱歌」として歌い継がれている訳ですが、当時の歌詞のままなので、内容的には平成の若者にはほとんど理解不能(私だって怪しい。)なのは、歌にとって大変残念なことです。

日本に、日本の子供の為の、日本人による作詞に、日本人が作曲した「唱歌」が生まれるのは、明治も末の頃の事でした。「春の小川」「紅葉」「朧月夜」「ふるさと」「冬景色」です。「蛍の光」に比べて、歌詞が分かり易く、何より旋律と歌詞がぴったり合っていますよね。それは....詳しくはまた
別の機会に。
# by musicaventuno | 2014-10-27 22:30 | claudia

台風一過

皆様、台風の折は無事にお過ごしになられましたか?私は外出不可能と判断して(危険だから出かけるな、と気象庁が言っていましたし)、家中の雨戸を閉め(大変)、停電に備え、食料の備蓄もして、さあ来い!?、と待ち構えていた..割には大したこともなく、お昼頃には青空が見え、拍子抜けしたのでありますが、一部の地域では、大きな被害が出て、亡くなられた方もいたとの事。御嶽山で未だ行方不明の方のご家族、周辺にお住まいの方は、さぞや気を揉まれた事とでしょう。次の19号が
それてくれると良いのですが.......。

秋も深まり虫の声が冴えわたって参りました。様々な虫の声を聞き分けて、それらを情緒と共に味わう事が出来るのは、特別の事のようです。少なくとも欧米人とは違う。虫の声を処理する脳の場所が、異なるのだそうで、それは言語と密接に関係があるらしい、という事を学生の頃に学びました。そして、子音と母音を処理する脳(右脳左脳)が、日本人と欧米人では逆なのだとも。

歌の、しかも外国語の歌を勉強している者にとって、とても「あ、そう」では済ませられない事です。まして、勉強を初めて間もなかった私は、相当考え込んで混乱してしまいました。だって、そもそも音の聞こえ方が、根本的に違うのだとしたら???「なら無理なんだから、邦楽を歌おう」という風に考えなかったのは、私にとってのマザーミュージック(母国音楽)が西洋音楽である事が、すでに動かしがたかった事もありますが、実際に欧米人と同様に歌えている「先輩」達がいたからに他なりません。(少数ではありましたが。)「出来ない事ではない」そう思って、今に至っておりますが、やはりその違いは「宿命」として受け止めて行く他はありません。

虫の声から、話が飛躍しましたが、西洋音楽を勉強しようと思ったら、どうしても一度は欧米語の文脈、発音で音楽を考える必要があると言うことです。声楽に限らず。近年、子供の頃から、欧米で育った音楽家の活躍が著しいのも、その事と関係が深いと思っています。勿論それがすべてではないと思いますが。

今日は玄関をリフォームするので、朝から大工さんが、ノコギリを「ぎこぎこぎこ」。これをイタリア人だったら何と表現するのかな?ちなみに「コケコッコー」は「キッキリキー」。ね、違うんです。
# by musicaventuno | 2014-10-08 11:45 | claudia