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musica21 part 2

お詫びと訂正

ずっと間違ったまま、そうと思い込んでいて、何かのきっかけでそれが明らかになる事があります。

先日のブログで、zeffiro(東風)と書いてしまいましたが、「西風」の誤りでした。日本人としては、春と言えば「東風(こち)」なので、いつしか頭の中で逆に覚えてしまっていたのですね。恥ずかしい事でした。本日、それを友人が指摘してくれましたので、ここに訂正させて頂きます。

今日は久し振りに、SANA(ソプラノ、アルト、ヴィオラ ダ ガンバ、チェンバロ4人のアンサンブル)の勉強会でした。モンテヴェルディ、シュッツ、シャインの2重唱を思いっきり歌って来ました。
最近不勉強に付き、声はいまいちでありましたが、心身共に活性化した心持ち。矢張り「モンテヴェルディは大天才」なのであります。仙川通りの桜も大層美しく、「春が来た」のを実感したのでしたが、帰る頃には「花冷え」に。

どうぞ皆様お風邪など召されませぬように。
# by musicaventuno | 2015-04-01 23:01 | claudia

Zeffiro(西風)

福岡で桜の開花宣言。春が近づいているようです。日本でもイタリアでも、春来の象徴はZeffiro、東風です。先日来、この東風を感じられるようになりましたね。

我家の庭を大改造しました。夏になるとドクダミが猛威をふるうので、熱中症になりそうになりながら「戦って」いたのですが、それももう限界。植木屋さんに相談して、ドクダミを管理しやすい庭にしました。すっかりすっきりとした地面に、そそとした和の花を少しづつ植えて行こうと思っています。あと山椒、クチナシ、ローズマリー、ペパーミント、セージ、茗荷...私らしく食いしん坊ゾーンも。楽しみが増えました。東風よ吹け吹け!

今年の始め、高校の音楽家の学生に、オペラ史の講義をしました。音楽通史の中で、オペラの成立について、より詳しくかつ分かり易く説明してやって欲しい、という音楽史担当の先生からの依頼がありまして。私が話すのですから、当然モンテヴェルディを中心としたオペラの誕生の話が中心に。2時間のうち、1時間をかけてフィレンツェでオペラが誕生して、その後大天才モンテヴェルディのお陰で、今私達が知る「音楽劇」の基礎が作られ、ヴェネツィアで大流行、遂に市民の為の公開歌劇場が作られる所までを。その間40年もかかっていません。大きな変化がもの凄いスピードで起きて行ったのですね。「今私達がオペラを楽しむことが出来るのは、モンテヴェルディがその時生きていたからです。」1時間目の授業をこう締めくくりました。後日生徒達に提出してもらったレポートには皆例外なく、「モンテヴェルディは大天才」と書かれていて、私にんまり。うふ、作戦成功であります。

2時間目は、その後、オペラが各国に渡り、各国語で書かれるようになり、それぞれの国の文化を背景にして多様に変化をして行った。イギリスでは「乞食オペラ」なるものが作られるようになり、それが「今貴女達が大好きな、ミュージカルになって行くのよお、分かった?」で2時間目の超高速オペラ史は締めくくられたのであります。1時間目と2時間目では鈍行電車とリニアモーターカー位
スピードが異なったと思いますが、何しろ講師が私なので、その偏りは仕方ありません?

高校生相手にこういう話をするという事は、種をまいて、水をやり、東風を吹きかけるようなものなのでしょうか。彼女達が日頃、歌っているイタリア歌曲への興味が深まってくれる事を願います。
# by musicaventuno | 2015-03-22 10:20 | claudia

雛祭りの日に

ご無沙汰しております。3月に入り、陽射しが力強くなって参りました。暖かかったり、寒かったり、この時期は、体調を崩し易いですよね。かういう私も、昔からこの季節が苦手であります。試験だったり、受験だったり、コンクールだったり、「先生」としては何かと忙しいのにもかかわらず。しかし、今年は風邪も引かず、無事に過ごしております。しばしば腹をたてているからか.......。「」

歌舞伎俳優の坂東三津五郎丈が亡くなられました。2年前中村勘三郎丈が亡くなられた時、歌舞伎界には何と大きな壁が立ちはだかったのだろう、と思いつつも、三津五郎がいれば何とかしてくれる、そう祈りをこめて願った人でした。ああ、歌舞伎界はどうなってしまうのでしょう。

加えて、次々と起こる「とんでもない事」。いったい日本は何処に行くのでしょう。おかしい、変だ、困った、許しがたい、多くの人が多かれ少なかれそう感じているのに、何も変わらない。右にも左にも行き場を失った心地がしています。俳句の季語に「厳凪」というのがあります。厳しい寒さに全ての動きが止まってしまっている、というような意味でしょうか。私達が縮ぢこまっている間に、とんでもない所に我が国が運ばれるのではないかと、「国会中継」を見る度怖くなる日々。(国会中継なんて見なかったのですが)

音楽家としての生活は「平和」です。教えている高校生が初めてコンクールを受け、聞いた事もないような声を出し、それに自分で動揺し、固まってしまい、やっとほぐれた頃にはもうおしまい、となりました。それは至極当たり前の、越えなければならない貴重な一歩です。「皆そうなんだから、落ち込まないでね」というのが、私の役目。コンクールは後のフォローが大切です。私もかつて、先生にこういう思いをさせていたのよね。「何でああなるの、羽鳥さん!!」我恩師はひたすら怖かったですが。

先日はJYD合唱団女子会を開催。5人来訪。いつもはレッスンしてから、大飲み会になるのですが、今年は飲み会のみになりました。でも、話の中心は「音楽」(あれを聞いたこれを聞いたの話ではありませんよ)です。それで多いに盛り上がり、酔えるのがいいなあ。音大出の皆さん、音大を出ただけではこうはならないのですよ。その後常に音楽と共にいなければ。例えばJYDのメンバーは毎週必ず歌う、シュッツ合唱団は時に週3回に練習することも。だから音楽が人生の一部になって行くのです。コンクールの為にレッスンに通い、その為に練習するというのとは異なる世界です。他に仕事を持ちながら、コツコツ歌い続けている方達を心から尊敬するし、応援しなくちゃと思うのです。その姿は私の起爆剤!(大げさでなく)有り難い事だと思っています。

さてしばらくは、声を整えつつ、楽譜の整理をしようと思っています。古いコピー譜が山のようにある。その中には、単なるコピー譜ではない貴重な物もあるかと思うので、全部資源ゴミに出す訳には行きません。「本当に必要な物は何か」と考えながら、整理したいと思っています。誰かに譲る時の事を考えてね。何年もかかるだろうけれど....。
# by musicaventuno | 2015-03-03 11:31 | claudia

2月も半ばとなりました。(早!)陽射しに力強さが宿って来てはいるものの、足下には氷が張っており、春は何処也や....。寒いを連呼しつつも、まだ風邪を引かずにおります。皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

親友が突然亡くなって、一年が過ぎました。彼女がいない世界というものに、慣れるどころか違和感が増すばかりだよ、命日に呟きました。

そして2月1日は特別な日でした。朝起きたら、後藤さん殺害のニュース。鉛を飲み込んだような気持ちになりました。怒りと無力感。そして夜、Maestro Ciccoliniの訃報。マエストロ チッコリーニについては、このブログで何回かご紹介したと思います。私は3回コンサートを聴くことができました。最初の3つの音で、聴衆の心を別世界に誘う事の出来た、至高のピアニストでした。御年90才。昨年6月に聴いた時には、これからも演奏を聴けるであろう事を、信じて疑わなかったのでしたが。100歳まで弾く、と仰っていたご本人が一番残念に思っていらっしゃうのかもしれません。チッコリーニのいないこの世は、つまらない......彼のコンサートは真にかけがえの無いひと時でありました。合掌。

ひとつ良いニュース。長らく病気で歌が歌えなかった、Aさんが復帰なさいました。相変わらずの美声です。彼女の主催する合唱団の10周年記念のコンサートでお歌いになりたいとの事。精一杯のエールを送ります。私も賛助出演をさせて頂く事にいたしました。「日本語」で歌おうかと思っております。あえて、「日本語」と書かねばならぬのも、良く考えれば変な話ですね?
# by musicaventuno | 2015-02-15 11:02 | claudia

繋ぐということ

謹賀新年のご挨拶をしてから、毎日寒い寒いと言っている間に、1月も終わりに近づいて参りました。インフルエンザも流行っているようですが、皆様お元気でいらっしゃいますか?

新年早々すっかりご無沙汰をしてしましましたが、実は何回も「つなぐ」というテーマで書こうとしていたのです。私が育った時代と今とでは、あまりに環境が変わってしまいましたが、それでも次の世代に引き継がなければならない事がある、そんな風に思いまして。

ところが、先日来のイスラム国の事件。事件そものも勿論驚愕でありましたが、政府の対応、さらに世の中の反応を見ているうちに、語るはずの言葉がどんどん消えて行きました。私が思っていた以上に今の日本は大変ひどい事になっているのですね......音楽家として「つなぐ」ものがあるのなら、「戦争をしない国」をつなぐ為にも出来る事をしなければなりません。

17世紀前半、今のドイツを中心にした地域で、「30年戦争」が起きました。当時は傭兵で戦争をしていたそうですが、それでもドイツでは人口の3分の1が失われ、国土が荒れ果てたそうです。H,shutz(シュッツ)はそんな時代に、ドイツ音楽の基礎を作り、比類なき宗教音楽の世界を私達に残してくれました。シュッツの作品は、楽器の編成等小規模の作品が多いのですが、それは戦争で音楽家も失われたからだと。しかしシュッツは決して、作曲をやめませんでした。むしろ戦争の間に、ひ表現する世界は、より深淵になって行きました。

何故か?戦争がしたくてうずうずしている人達が、1日も早く大人しくなる事を願ってやみませんが、一方今の私に戦争で同胞が失われて行く中、音楽や人生や命に対する洞察を深めて行く力があるのだろうか、と問いかけています。

次回は音楽三昧の話ができますように!
# by musicaventuno | 2015-01-14 18:05